大村の歴史と文化が香る郷土料理2 | お料理やまうえ|大村|長崎|うなぎ料理|郷土料理|おもてなし
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大村の歴史と
文化が香る
郷土料理

本膳に用いた波佐見焼は、江戸時代より日用食器として好まれ、
殊に全国の蔵屋敷が集中した大阪堂島界隈の水上では、行き交う船に
「くらわんか・くらわんか」と一杯飯が売られました。
その飯が盛られた器が波佐見焼であったために、「くらわんか茶碗」
として親しまれました。

器に描かれた黒丸踊りは、五○○年ほど前に大村領主の凱旋を記念して
始まったと伝えられ、大花輪が宙を舞う祝いの踊りです。大海原を目指す
四少年は、キリシタン大名大村純忠の命により、日本人として初めて
西洋を見聞きした天正遣欧使節です。
この地方では、古い時代から天然の真珠が採れ、『肥前国風土記』には
「白玉」と記されます。大村湾周辺は沢山の真珠が採れる「具足玉の国」
と言われました。また大村城趾は、大村桜菖蒲といった花の名所でもあります。
大村地方の風情として真珠と花をあしらいました。
波佐見焼の古里・波佐見の地から出た深澤儀義大夫は、
五島灘一帯で捕鯨を営み、この地に鯨の食文化を定着させました。
製品となった鯨肉は、長崎街道の宿場・彼杵に陸揚げされ、
その街道を通じて各地に流通していきます。鯨が入った茶わん蒸し椀の絵柄は、
鯨漁、そして鯨肉が運ばれた長崎街道宿場町
鯨の深い味とともにその歴史をお楽しみください。